歴史

白布温泉及び東屋旅館
1312年に開湯された白布温泉は、置賜(米沢地方)、会津の国境、吾妻連峰にある山岳宗教吾妻権現と関連の温泉としての江戸時代の初期までの歴史と、上杉家領の置賜地区と松平家領の会津地区の人々に愛された明治初期までの時代がありました。開湯宿の東屋宍戸家は、代々のお殿様が入湯したと伝えられています。

来客の地域も上杉藩領の人、会津藩領の人が同数に近く、正に広域の人々に親しまれた温泉として「奥州三高湯の一つ」の名まで付けて愛されての江戸時代だったようです。
※奥州三高湯とは「福島高湯温泉」「山形蔵王温泉」「白布高湯温泉」(現白布温泉)

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明治時代になると、東屋旅館は新しい時代の温泉旅館として今につながっています。

2000年3月26日、隣家からの出火で、東屋も類焼。江戸時代からのかやぶき屋根の宿は消えましたが、1年半後の2001年9月再建しました。かやぶき屋根の再建は法令上だめでしたが、内装には杉を主体に木材を取り入れ、山宿の風情を再現しました。自慢の滝湯(打たせ湯)は昔からの石造りの浴槽で、角の取れた柔らかな形状が江戸時代からの歴史を物語っています。

開湯700年を迎えた2012年には、100年に1体ずつ地蔵が建てられる白布温泉の源泉地に新たに一体が加わりました。

 

<白布温泉源泉>
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今から約700年前の正和元年(1312年)6月12日出羽の国の住人で佐藤宗純という鎌倉御家人が仏門に入り諸国行脚の途中西吾妻山に分け入りこの地を発見し開湯しました。 海抜900mの高地から湧き出る天然自噴の温泉は無色透明で無臭・無味の硫酸塩泉で湯量も豊富(毎分1500L)な温泉です。
この天からの恵みに感謝して 毎年6月12日に「源泉まつり」 が厳かに開催されるほか 100年毎の大祭には一体の地蔵尊を奉納してこれまでの感謝と今後とも変わらぬ永遠の湧出のお願いをし続けております。2012年(開湯700年)にはもう1体増えました。

 

<薬師如来尊堂>
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古くから日本の温泉は病いを治す病院のような役割をはたしてきました。白布温泉にも湯治をしながら病気の回復を願う人々が大勢こられました。 当館の薬師如来尊も病気の人々の願いの寄り所として「不治の病いに苦しんでいたとしても必ず救ってくださる。」と人々の深い信仰を集めてきました。旅館の浴場から尊堂までつながる苔むした石段が当時の風習の証しです。現在も旅館の屋敷神として鄭重に奉られ白布の発展を静かに見守っておられます。

 

 

<白布西国三十三観音>
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東屋旅館24代当主宍戸惣左衛門が、幾世の安らかなることを祈願して、石工と共に西国三十三観音を巡礼し分霊をうけて享保14年(1729年)に建立したもので、250年以前の建立で一カ所に集めた石造野立の三十三観音様としては、東北にも数ケ所しかなく珍しいものとされています。
上杉家の歴代藩主も特に心にとめられ機会あるごとに参詣され境内の石灯籠の一つは上杉家よりの寄進といわれています。
また、境内には、笹野観音住職が巡礼し分霊をうけた「四国八十八ヶ所」も昭和50年に完成し安置されております。更に延命地蔵尊や疱瘡神などの石仏も祀られています。

 

<「直江城州公鉄砲鍛造遺跡」の碑>
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慶長6年(1601年)、上杉家は会津120万石から米沢30万石に減封され、家老の直江兼続は城下町の整備を行うととともに、戦いの準備とも言える鉄砲製造に着手し、
関西方面から鉄砲師を呼び寄せ、人里離れた白布高湯(現白布温泉)にて火縄銃を製造させました。造られた鉄砲の数は1000挺にのぼるといわれています。
更に直江氏は、鉄砲の撃ち方などを記した「鉄砲稽古定」を発し、射撃訓練を奨励しました。この鉄砲製造と射撃訓練奨励は、「大阪冬の陣」で成果が発揮され、後に徳川秀忠より感謝状が贈られています。